留学という名の亡霊が世代中を覆っている:スタンスの表明
さいきん自分の周辺で、特に世代が近い人を中心として、留学という言葉を口にする人が増えている。
もちろん俺自身もそういうことに関心がないわけじゃないし、「そろそろ留学とか行っちゃうの?」とか聞かれることも多くなってきたので、ちょっとはっきりと自分のスタンスを述べておく必要があるだろう。2年以上も日本を離れるかどうかっていうのは、仕事の信頼にも関係する重要なことですから。
結論から言うと、自分はしばらく留学とかするつもりはない。
というのも、留学留学言ってるひと、とくにちょっと(できるだけ短い時間で)マスター取りに行きたいという連中ってなんだろう、どうにも自分の能力に自信がなくて、一流にどうしても追いつくことができず、「留学してハクをつけてきたら自分も一流になれるかも?」「留学したら私もすごい人になれるかも?」っていう二流のマインドが多いような気がするのよね。ひどい言いようだけど。人生一発逆転狙いっていうかさ。
もちろんそういうマインドに一定の有効性があることは否定しない。人間の評価ほど認知限界を消費する作業はないから、人間は人間をどうしたって学歴やタイトルで評価したがる傾向はある。たとえばMITのスローンでましたとかいうと、我々なんかよりよっぽどケイエイがわかってんだろうなーー、という気になってしまう。そういう連中にでかい組織の舵取りとかまかせてしまう。そんなわけあるかいな。
もう一度言うと、自分はしばらく留学とかするつもりはない。
理由はたくさんあるけれど、自分が今いる環境ってのはどこに行っても絶対にないくらい最高に知的にエキサイティングだし、そういう中である程度の評価も頂いていると思っているし、そして何より大事なことに、日本にずっといたってこれ以上余計なハクとかつけなくたって超一流になれるだけの自信があるのですよ。
いや、あるったらあるんだよ。A先生は「自分が世の中で最も頭がいいという自信がなけりゃ、学者の道は薦めねー」と教えてくださった。
あーもちろん、英語の勉強に、っていうのはあるのかもね。しかしたかだか英語のお勉強のために、何年も責任も信頼も仕事も全部ほっぽって空けられるかいな。そんなにヒマで無責任じゃねえぞこっちは。
で、次に。これから先もずーっと留学とかに行くつもりがないかというと、それもノーだ。
日本で十分に一流として評価されるようになって、そういう中で海外とのネットワークも当然できていって、書きたいこともだいぶたまってきたら、どのタイミングかはわからないけれど、3年やそこいらじっくり行ってこようかと思う。でもおそらく目的は学位じゃないだろう。
どうしても日本にいるといろんな仕事を頂いてしまい、「理論的な」「社会に直接影響を与えない」仕事をじっくりすることはできないからね(これはもちろん非常にありがたいことだし、もちろん理論のほうの進展にもすごく役に立っている)。
そういう時期が来たら、もちろん受動的にそういう時期を待つとかタコなこといってるんじゃないよ、「正しい時期を」作ろう作ろうとちゃんと努力し続けてそういう時期が来たんならば、ちゃんと準備をして行ってこようじゃないか。そして理論的な分厚い仕事を仕上げてこようじゃないか。そしてその準備っていうのは、試験とか英語とかコネ作りとかそんなタコタコなことじゃなくて、ちゃんと自分の仕事を周りの方々に託し、ちゃんと然るべき人にお礼をして、後を濁さずに飛ぶ準備というのをしっかりしていこう、ってことでなければならないんじゃないかと思う。
(なぜか尊大&口の悪い&過度の一般化が多い文面になってますが、mixiでのボヤキなのでご容赦ください。今回は「そうじゃない人ももちろんいるけれど」という無駄な前置きもしていません。>えらいひと。)
以上、昨日の帰りの電車田町→川口間で座れたので。