フロー体験 喜びの現象学 (SEKAISHISO SEMINAR)
フロー体験 喜びの現象学 (SEKAISHISO SEMINAR)
- 作者: M.チクセントミハイ,Mihaly Csikszentmihalyi,今村浩明
- 出版社/メーカー: 世界思想社
- 発売日: 1996/08/01
- メディア: 単行本
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評定:B+
さいきん、いわゆるポストモダン的なものが社会科学者の実感としても無視できないものになり始めているからかどうかはわからないけれど、「そもそも人間の幸せって何よ?」ということが議論のそこここに出始めてきている。それを考えるときに一助となるのがこの難しい字を書くチクセントミハイ先生のご著書。
フロー理論には、お金とか権力といったような「外生的な」要因による満足だけをみんなが追いかけていたら社会はいつまでたっても幸せにならない、だからもっと「内生的な」満足をみんなが得られる理論をちゃんと作っていくことに価値があるんじゃないかという思想が流れている。そしてその内生的な満足には「快感」のようなものも入ってくるんでしょう。ただこれもけっこうむずかしくて、たとえば古代中国のガクシャ達は皇帝に対して「快感政治」をやるべきだといいましたけれど、こっちの快感はどっちかっていうと外生的な満足の要素が強いですね。用語の定義は難しい。
人は幸せや満足を追い求めるもの。それがインセンティブというものに関わる理論/言説の源泉になっている。そしてその幸せや満足の水準がここ数10年で明らかな変化を見せている中で、社会理論も組織理論もおそらくかなり根本的なところから書き直されなければならないことでしょう。その根本的なところに迫る第1歩として、人間の満足や幸せってものについてはちゃんと議論してみたいものですね。
とはいえ、人間の満足ってものをマクロに考えたとき、個人的には「全員が完全に満足することなんてないから社会は進歩する」と思っている。現状に不満があるから人々はいろいろな発明をしたりイノベーションを起こしたりして世の中を進歩させようとするんでしょう。一部の環境主義者さんたちが言っているような「もう人間社会に進歩なんか必要ない」っていう主張にはある程度納得できる部分はあるけれど、もし人類のみんなが現状に満足しちゃったら社会はどうなるんでしょう。学問はどうなるんでしょう。「豊穣の経済」にかんする理論と言説は、このあたりまでもしかしたら踏み込まなければならないのかもしれませんね。
ここらへん、解釈の幅はありますがゲーテの『ファウスト』の終幕で、ファウストが悪魔メフィストフェレスとの約束を破り「時よ留まれ、お前はいかにも美しい」と言ってしまう場面とあわせて読まれるとねじれた感じがよろしいかと思います。某研究会のMLでも書きましたが、夏休みの暇つぶしとしましてご関心がございましたら、って感じですね。
- 作者: ゲーテ,高橋義孝
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1967/11/28
- メディア: 文庫
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