プラダを着た悪魔(/あるいはprivate sectorのマネジメントについての試論)

評定:A

 書評シリーズのはずなんだけれど、映画もやってみましょう。原作小説もあることですし。
 そーんなに特別映画は好きなほうじゃないんだけれど、相当質の高い作品だと思いました。すばらしい。ずいぶん頭のいいお方がつくっていらっしゃるんでしょう。人気になるのもこれならばうなづける。
 ガリ勉の新卒学生(もともとはジャーナリスト志望)がひょんなことから世界的なファッション雑誌のバリバリ編集長(こいつが「プラダを着た悪魔」)の第二秘書に採用されて紆余曲折を経ながらも内面外面ともに成長していくっていう、いわゆるメイクアップもののど真ん中路線。
 直前に安野モヨコ原作「さくらん」を見てだいぶ感心したものだけれど、さすがにハリウッドものは洗練度が違いすぎます。おそらくベタなメイクアップモノだけでも200通りくらいパターンがあって、その組み合わせと改善でつくってたりするんだろうなあ。
 「成長するとはどういうことで」「理不尽の中で努力するためにはどういうマインドを持つ必要があり」「未来へのチャンスと過去への仁義、どちらを優先するべきか」といったような日常的かつ深遠、かつなかなか回答を語り得ぬ問題に対して「語らずに」答えてくれる。ウィトゲンシュタイン先生も「明晰に語ることができないことには語らずに答えろ」とおっしゃっていた。いやそんなこといってないか。まあとにかく、最後の最後まで期待通り。
 しかし、ひとつだけ答えることのできなかった、あるいは意図的に回答を避けた問題があります。それは「仕事とプライベートは両立可能なのか」「可能だとすればどうすればいいのか」そしてそれは「女性だから特に難しいんだろうか」ということ。全知全能のdevilたるミランダはなぜプライベートのマネジメントだけうまくやることができないんでしょう。
 これは(よくわからないけれど)アメリカ社会のひとつのタブーなのかもしれませんが、まあここ日本ではすくなくともそんなことはないので夏休みの余興としてちょこっとだけ考えてみましょう。可能性としてはいくつもあるけれど、特にここで取り上げてみたい問題意識は、「優秀であればあるほど、プライベートをシステマチックに考え、ルーチン化してしまう傾向があるのではないか」ということ。(いや、家庭を持ったことない人間がそんなこと語るなや、と言われては経営者やったことのない経営学者はお払い箱になってしまうのでここではその問題は置いておいていただいて、と。笑)
 つづけましょう。なんだろうね。プライベートっていうのはどーーうしたって、仕事と比べればダイナミックな動きは少ないものでありまして。たとえば仕事で組織を運営するのであれば常に外部環境と内部資源の変化に気を配り、状況を把握し(センスメーキング)、半年やらもっと細かい単位で戦略や組織設計を見直し、内外の人間関係のメンテナンスと新規開拓に気を使う…というような仕事は当然のことながら不可欠なわけでございまして。
 でもそういうことに慣れ親しんで、ある程度完全にこなす人間に限って、プライベートの表層的なスタティックさに目を曇らせてしまう傾向がある気がするんですよね。そりゃビジネス組織の運営とくらべればよっぽどのんびりしててステイクホルダーも少なくて考えるべきことも少なくて硬直的ですわ。でもってそういう人ってちゃんとプライベートでも「週に1回は必ず外でディナーする」とか「週末は必ず家でお料理する」とか「子どもの送り迎えは必ず交代でする」とか「半年に1回は必ず海外旅行する」とかなんとかもはやもやもや「ちゃんと必ずする」。ルーチンを作る。そして長期間それを見直さない…
 うん、まあ、それは非常に立派なことです。とても大事なことですよ。しかし一度作ったルーチンを何年も組み直さないなんていうことがビジネスの世界で「もしも」あったら、(よほどの硬直産業でもないかぎり)組織は潰れるでしょう。外部からの脅威がそんなになかったとしても、優秀な人間から飽きがきて去っていくことでしょう。
 プライベートってのは、それが2人だけであっても4人の親がいて2人の子どもがいたとしても、よくよく見てみればそんーなにスタティックなものではないでしょう。ステイクホルダーが少ないっていうことは逆に、内面的にはよほどダイナミックな世界なのかもしれません。
 今月号のHBRでのマローンせんせいたちの論文「完全なるリーダーはいらない(In Praise of the Incomplete Leader)」によれば、かの有名なIDEOではこんなことをやっているらしいです。

たとえば、あるデザイン・チームは、緊急処置室(ER)を新たにデザインするよう依頼された時、重要なステークホルダーである患者の体験をよく理解するため、患者の頭部にカメラを取りつけてもらい、ERで過ごすとはどのような経験なのかを記録し、その映像を見た。その結果、10時間に及ぶ録画のうち、ほとんどの時間は天井しか移っていなかった。
状況認識によってもたらされたこの新しい視点に基づき、このチームは天井のデザインを見直すことに決め、見た目が美しく、患者にとって重要な情報を表示できるようにしたのである。

 別にここまでやれとはいわないけれど、たまにパートナーとまるまる1週間なり1日なり生活を入れ代わるなりしてみるとかなりいろいろなものが見えてくるんじゃないかしら。いやもちろんいまの(特に日本の)雇用慣行では非常に難しいのはよくわかる。だからこそ創意工夫のしがいがあるんでしょう。いまはケータイで見れるウェブカメラやらなんなり、人間のそういったニーズを満たしてくれる技術が巷では溢れていますよ。言い訳の余地はありません。
 仕事だってプライベートだってそれこそ国だって、組織は組織です。どれがいちばんマネジメント/ガバナンスが難しいかなんてのは俺にはよくわかりませんが、個人にとっての重要性は(きっと)小さいものであれば小さいものであるほど大事なものであることでしょう。国がなくなったところでそんなに知ったことじゃない(うそうそ。政策学者には困る笑。)。勤め先の企業がなくなると困るけれど、まあ転職先を探せば良い。でも家族ってちょっと再構築しにくいでしょう。だったらせめて仕事と同じくらいプライベートにも「継続的に頭を使ってみましょう」。ルーチンの構築と保守ってのは頭を使わないためにすることです。
 もうちょっとアレだ。「非市場の経済」というものをよく考えてみたいものです。お金じゃないつながりのマネジメントほど難しいことはないよ?。その手がかりは意外と卑近なところに転がっているのかもしれません。(あれーこのひとことが言いたかっただけだったのになー。長くなった。)