プロセスを発信する(/DMCや著作権保護期間延長問題を考えるフォーラムから。)

 昨日、thinkC+DMC「日本は世界とどう向き合うか」が終了しました。
 いつものごとく大盛況でした。どうもありがとうございます。

http://note.dmc.keio.ac.jp/topics/archives/112

 そこでのツボタ先生のご意見についてちょっと思ったことを事務局MLに書きましたので、こちらにも転載させて頂きます。プリミティブな問題設定ですけど、けっこう大事なことかもしれませんので。原文ママです。

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問題設定:

 「著作権の延長を求めるひとには、その対価として税金を払ってもらえばいい」といった感じのご意見でしたが、これは言い換えれば「結果(としての著作権保護期間)よりもプロセス/手続きをもっと論じるべき」というご意見と受け取りました。

 少々理論的な問題になってしまいますが、上記ご意見というのは、経済学でいうところの「外部性」という伝統的な問題設定の系譜に属します。外部性というのはある特定の主体が行動した結果が、良きにつけ悪しきにつけその主体に帰責されないときに、非効率性が生じるが、それをどのように解決して社会全体をより望ましい状態にするかという問題です。(経済学者さまがいらっしゃるMLでこういうことお話するのは我ながらすごい強心臓だなと思ってしまいますが…間違い等ございましたらいじめてくださいませ…)

理論:

 標準的なミクロ経済学の理論では、外部性の問題にはおよそ2通りの解決策があるとされています。
(1)A.C.ピグーによって提唱された「ピグー税」。ある主体が招いた負の外部性(たとえば工場の公害など)に対して、同等の税金をかけてやればいいとする立場。ちなみに補助金などの手段によって正の外部性にも応用可能。
(2)R.H.コースが1960年の論文で提唱した「コースの定理」。外部性の原因主体と受動側の間での取引費用を十分に低減できれば(つまり、話し合いがしやすい環境を十分に整えてやれれば)問題は当事者間の交渉によって解決されるだろうという立場。

応用:

 坪田先生の意見は、(1)のピグー税的な考え方を制度制定プロセスに導入したものといえます。つまり、保護期間延長をとなえる団体は、その当人たちにとっては非常に合理的な主張をしているが、その結果として多くの他人に与える損害というものを、現行制度の元では「考える必要がない」。その現状を改善して「自分の発言の影響」に対して責任を持つことが要請される状態になれば、もっと社会全体の影響とを考えてくれるようになるのではないか、と。

 政治や政策に対する発言は、おそらくある程度は「無責任に」行われて然るべきです。そのたびに責任を追求されては、怖くて誰もモノをいわなくなってしまいます。けれども、それがロビイングその他の方法によって実際に物事を動かす場面においては、やはりある程度の責任というのを負わなければならないのかもしれません。

 次に、(2)のコースの定理的な考え方につきまして。こっちは先日の議論と直接は関係致しませんが、重要なことです。コースの定理は前提条件の厳しい理論上の仮説なのである程度の読み替えが必要ですが、「とにかく話し合いをしよう、プロもネガも話し合いをしようよ」と読み替えていいと思います。そうすれば、著作権を伸ばす伸ばさないも、より効率的な、よい結論が生み出されるはず。その話し合いのプロセスをちゃんと作って行きましょうよ、と。

結論:

 少々長いメールになってしまいましたが、いずれにせよ何が言いたかったかと申しますと、昨日のお話の中でも再三にわたり「日本型モデルを構築し、発信する」という表現が出て参りましたが、そのモデルというのは著作権保護期間のような結果や創造活動のみではなくて、たとえば著作権保護期間を決めるために経た「制度制定プロセス」であってもいいんじゃないかな、ということにございます。それこそが本当に誇るべき部分なのではないかな、と。

 たとえばアメリカの制度制定「プロセス」というのは、ミッキーマウス法という言葉に端的に示されるように嘲笑の的になっています。ならば日本からは、「こんなにオープンでレベルの高い議論を経た結果、こういうことになりました」というプロセスの面で、やはりアメリカの上を行ってみたいものです。そしてそのプロセスのフィールドとして、thinkCというのはもっとも大きな可能性を持っているものと信じています。