業界団体の自主規制は社会規範か?

 
 大学院で「情報法政策勉強会」という私的勉強会をやっているんですが、そこで友人と少し議論になった問題に「業界団体による自主規制はエンフォースメントの側面から見て(レッシグ先生の四規制説でいうところの)社会規範と言えるか?」というものがあります。これ個人的な宿題になっていたようなので少し考えていました(内輪話+メモ代わりなので諸々ご容赦ください)。
 
 結論から言うと、業界団体の自主規制にも色々ありますが、やはり四規制説で言うならば「社会規範」よりも「市場」に近いものなんじゃないかということです。弁護士会のような制度的に定められた実質的強制加入団体であれば少し話は違ってきますが、おそらく大部分を占めるであろう東証の規則やJEITAの品質規制のような任意加入団体の場合、「その団体に加入し、それに付随する規則に従うことが経済合理性に適う」という要素が最も強いものであろうということです。
 
 そもそもこの手の話をしようとし出すと「市場」のような比較的定義しやすい(=インセンティブ整合的)と違って若干定義しにく「社会規範」をちゃんと定義しないとなという気にはなりますね。レッシグ先生自身は"The New Chicago School"の中ではあまり明確に社会規範(Norms)を定義していないようですが、"If they constrain, they constrain because of the enforcement of a community"(p662)即ち政府ではなくコミュニティによってエンフォースメントが担保されている、という位に理解しておけば間違いはなさそうです。
http://www.lessig.org/content/articles/works/LessigNewchicschool.pdf
 
 たとえば東証のようにそうした業界団体に加入しないことが資金調達の面で著しく不利益を生じるとき、新しく別の証券取引所を設立する経済的費用が禁止的に高いならばそれは明らかに「市場」による強制力ですね。問いかけに対する回答は端的には以上なのですが、一方でそもそもレッシグ自身も指摘しているように(上記p663~)四つの規制要素は単独で作用することは例外的であり実質的に問題になるのはその混合比率と相互作用なので、以下いくつか補足しておきます。
 
1:例えば管理事業法以前のJASRACのように、別の管理団体を作ることが制度的に実質禁止されている場合には「法」の混合比率が比較的高くなるものと思います。
 
2:例えば村落共同体における青年団のように、それに参加しないことが"社会的"非難の対象になる可能性が高い場合には「社会規範」の混合比率が比較的高くなるものと思います。
 
3:例えば経団連の企業行動憲章のように、その直接的対象が加盟企業である取り決めであっても「経営者」という一定の社会属性全体に対する一般的な社会規範の喚起を目的とする場合には、上記とはまた別のレイヤーで「社会規範」の混合比率が比較的高くなるものと思います。経団連としても憲章違反は特に重大な問題でない限りはあまり厳密な制裁をする仕組みにはなっていないようです(従来は「会員の自己責任に基づく申請」等)。詳細は神田秀樹「企業と社会規範」p5等を参照。
http://www.j.u-tokyo.ac.jp/coelaw/COESOFTLAW-2004-15.pdf
 
 3の「別のレイヤー」というところは論点としては少し興味深くて、憲章であっても加盟企業にはぜひ遵守して頂きたい規則として除名その他の「市場」的サンクションを背景に持つ自主規制として制定されている一方、より広い社会一般における「社会規範」として機能させようとする目的を持っているがために、加盟企業に対しても「社会規範」に近いエンフォースメント様式を採っているように見えるということです。この辺は業界団体の規則以外にもOECDAPECに代表される比較的弱いエンフォースメントで機能している国際組織の取り決め一般についても言えることなので、その多層性含め色々な側面から引き続きフォローしていきたいと思います。