情報通信政策論の三層構造 ー目的論、手段論、組織論ー

 
 メモがてらに簡単に整理しておきます。少しだけ怒っています。
 
 現在日本国内では原口総務大臣(そして内藤正光副大臣)の就任に伴って「周波数オークション」「NTT再統合」「日本版FCC」の3つの情報通信政策が盛り上がっていますが、この中でも特に「日本版FCC」という行政組織論は最も根本的かつ難しい問題です。確かに日本版FCCなり情報通信省なりそうした組織論は産官学挙げて将来の情報社会のグランドデザインを考えていく上で不可欠ですし議論を盛り上げて行くことには大いに賛成ですが、就任早々「来年法案を提出、2011年に設立」という形で最初にコミットするというのは順番から見てどうなのだろうと考えています。
 
 そもそも情報通信に限らず政策論には[1]目的論[2]手段論[3]組織論の三層構造がありますし、もし無いならあって然るべきです。現状ではおおよそ[1]は政治家が(時には与党のマニフェスト、時には基本法という形で)何となく決め、[2]は官僚が法律という形で決め、[3]はそのときの政治状況と妥協によって(時にはトラブルの責任論という形で)なんとなく決まるという形だったでしょうか。
 これまでことさら情報通信政策の世界では閉鎖的なインナーサークルの議論の中で政策論をしていれば大きな間違いは起こらない時期を数十年間過ごしてきたため、あまりその重層性と相互連関の存在自体が意識されることがなくなってきたように思います。しかし今は政権交代、あるいは情報通信産業の重要性の拡大、あるいは日本国の本格的な衰退の危機という理由からいつまでもそうしているわけにもいかなくなってきています。以下、123の定義と基本的な方向性を簡単に見てみることにしましょう。
 
[1]目的論:そもそも政策で何をなすべきかという議論です。そもそもこの国は「成長不均衡」と「縮小均衡」のどちらを目指して行くのかという基本的な問題意識から始まって、もっと粒度の低い数々の問題、そしてこの文脈では情報通信政策で何を達成したいのかという目的を決めて行かなければなりません。情報通信で言えば例えば「融合の促進」や「コンテンツやアプリケーションなど上位レイヤーの国際競争力強化」が挙げられるでしょうか。残念な事に現状では政策論争全体における情報通信政策の重要性は低く、選挙という場面に絞ってみれば民主党マニフェストには一言も触れられておらず、同じ政策集の中で触れられていた周波数オークションは「ごく限定的に」しかやらない方向が示される一方日本版FCCは「国民との約束だ」とされたり、一言も触れられていなかったNTT再統合について明確な方向性が示される事態です(いや約束のうちせめて一つでもやろうというのは良い事なんですが、ここで書く通りちょっと順序が違います)。選挙で国民の判断を仰ぐ事ができない以上、特定の利害関係を持った特定の政治家の意向で決めるというよりは、よりオープンな議論の中でそもそもの目的を決しようというのが自然な態度でしょう。
 
[2]手段論:どのような手段でその目的を達成すべきかという議論です。ここでの指針は言うまでもなく、上記の目的を達成するためにいかなる手段が最も優れているかということです。具体的には「コスト」「表現の自由や公平・公正といった基本的な憲法指針との整合性」そして「実現性・実効性」などになるでしょう。代表的な手段は言うまでもなく法律ですが、ここでの問題は従来の「命令と統制(コマンド・アンド・コントロール)」に基づいた政策手段が、特に情報通信の世界においては明らかにその有効性を失い始めているということです。およそ全ての行為が国境を越え、これまで単なる客体だった一人一人の国民が主体として色々な行為を行い、様々な前提が翌日は全く違った姿をしている情報社会の中で、果たして何をどこまで政府の決めたルールだけで対応できるものでしょうか。国家の重要性が今後も減じるものとは思いませんが、米国の自主規制や欧州の共同規制といった、経済成長と社会問題解決の両面において今まで以上に「市場の力」を活用した手段論を進めていく必要があります。どこぞの社会主義国のように情報社会を政府が統制可能なだけの小さな規模に押し止めようという明確な意思でもない限り、命令と統制に基づいた手段論の展開に限界があることは明白なはずです。
 
[3]組織論:そして上記の手段を実行する上で、どのような組織形態が最適なのかという議論です。目的と手段があって初めて組織論があるのであって、組織論ありきの組織論というものは明らかに順番を取り違えています(後述するようにここでは「議論の順序」を指しているのであって、必ずしも「優先順位」を指すものではありません)。少なくとも今現在の「2011年に作ります」という主張には「表現の自由」という蒙昧な題目の他に確固たる目的論も手段論も存在しているようには思えません(念のため述べておくと、一応僕は表現の自由を主題とする研究室で修士号を取っています)。ここはもう少しだけ詳しく論じる必要があるので、情報通信行政所管を切り出す際に主な論拠となる以下の5点に分けて説明しておきます。
(ちょっと便宜上、FCC=独立委説とOfcom=庁説をごっちゃにしている部分があります。この違いについては次の機会に詳論したいと思います)
 
(3-a)独立性:特性の政治圧力や業界団体からの圧力によって「表現の自由」や「公正な競争」が歪められることのないよう、政府から一定の独立性を図るという議論です(どうも後者の公正な競争が軽視される傾向があるんじゃないかと感じています。公取を強化すれば良いんではという話もありますが。FCC型=独立委かOfcom型=庁を取るかで多少議論は変わってきます)。「独立」が確かにその目的に一定程度資することは間違いありませんが、結局司法省によって断じられたFCCAT&Tの癒着やPeter HuberのFCC解体論などを参照する間でもなく、独立することでかえってロビイング耐性が弱まることは十分に考えられます。当然政治からの距離という文脈においても、政治が委員を任命するという手段でどれほどの独立性が保たれるのかという点も重要です。本来の目的を達成するためにも、単なる独立論に止まらない入念な組織設計が不可欠です。
 
(3-b)専門性:2、3年程度で配置換えのある一般的な省庁人事から離れ、複雑な情報通信政策に対応できるプロフェッショナリティを蓄積する必要があるという議論です。これはそれ以上に民間から専門的な人材を登用しやすくするという意味合いも含まれます。スタッフレベルにどういった人材を配置するのか、公務員比率をどの程度にするのか、人材の流動性はどの程度担保するのかといった人事面での細かい設計が不可欠です。もちろん調査研究能力の拡充も図られなければなりません。
  
(3-c)外部との協力:これは[2]手段論で述べた「市場の力」を最大限に活用するという議論に深く関係します。おそらく(独立委の場合)2、300名程度で構成されるスタッフで情報通信全体を管理できるという発想はあり得ません。従来の独立行政法人や所管の公益法人へのアウトソースという次元を超えて、民間企業や非営利組織といった様々な組織と協力して問題を解決していく態勢を整える必要があります(2003年の情報通信法改正で英Ofcomが設立された際も、共同規制手法の積極的活用が明示されています)。規制の策定と執行の両段階において、最大限に市場の力を活用する方法論の確立が求められます。
 
(3-d)規制と振興:特に独立委といったときに規制と振興を分離するために必要だという議論がありますが、これは僕にはいまいちよく理解できず、むしろ金先生の言う通り「規制の一元化」「振興の一元化」「両者の分離」が本筋なのではないかと考えています。現状情報通信の規制にせよ振興にせよ、IT戦略本部という大枠はあるにしろ実質は総務省経産省に分散しており、首尾一貫しない政策が行われる点は問題視されるべきです。中村先生の言う通り、「メディアIT文化振興を一元管轄する日本版DCMS」と「強力な審判機能を持つ委員会」という形で二元化することは有力な手段と考えられます(ただ、知財行政をどのように整理するかは別論が必要です)。
 
(3-e)透明性:言うまでもなく、民主主義のコントロールから一定の距離を置く以上、あらゆる場面における徹底的な透明性の確保が必要です。原則として政治家や政府機関、民間企業や団体とのやり取りは文書の形で行い、それをネット上で公開することを義務付けるなどの施策は不可欠でしょう(これは上記人事面の公務員比率等とも深く関係します)。
 
 以上簡単に書くつもりが少し長めになってしまいましたが、要は政策論においては「目的論」「手段論」「組織論」の順に論じていくことが大前提であり政権交代早々目的もはっきりしないまま2011年というのは明らかに順序を取り違えているのではないかということです。もちろん組織論は実行の基盤になるという意味で決して優先順位の低い問題ではありませんし、さらに言えば「組織論ありきの組織論」を原理的に否定するわけではなく、そういった手法が有効である場面というのももちろん時と場合によっては考えられるかもしれませんが、今現在の情報通信政策という状況においてはそれは明らかに非効率であろうというものです。
 一通り特に目新しいこともない原則論を書いたので一読されて何だ当たり前のことを偉そうにという向きもあるかもしれませんが、そうです、普通に議論をすればこのくらいの論点は出てくるはずです。ことさら我々レベルの若い研究者は政治や政策に関わる問題からは様々な理由で距離を置きがちですしそれは色々な理由でけっこう大事なことだったりしますが、デジタル技術とそれに対応する国家のあり方をどうしましょうという時に我々20代が黙っていてよかろうはずもありません。もっと議論しましょう。そして我々を置いてけぼりにして物事を決めないでくださいませ>政治家の人たち。
 
 
※追記090922:お、法案提出早速1年送らせる様子。すこし安心です。
日本版FCC「通信・放送委員会」11年に法案提出へ(朝日新聞、2009/9/22)
※追記090926:現状あまり騒がれていないように見える3-a問題(経済学では捕獲理論regulatory captureと言います)について池田先生が書かれていました。
官僚主導からマスコミ主導へ? - 池田信夫(アゴラ、090926)