RE: RE: 業界団体の自主規制は社会規範か?

 
 上記URLを出題者に送りましたら早速ご返答&追加ご質問を頂きました。少し面白い議論なのでデフォルメの上転載しようと思います(少しはブログ盛り上げねば笑&こういう議論はマニアックであればあるほど公開したほうが有意義だと思っており)。
 まず応答ご質問を要約すると下記の通りです。名前伏せる必要も特に無いかと思うんですが一応。
 

RE: 業界団体の自主規制は社会規範か?
(a)焦点になっているいわゆる「法と経済学」や社会規範研究は人がインセンティブ整合的に行動するということを焦点にしており、インセンティブ整合的だからといって直ちに「市場」であるということにはならないのでは?
(b)社会規範の定義については以下の3人(飯田高『<法と経済学>の社会規範論』p60-61より)が参考になるが、このいずれを見ても業界団体の自主規制は「社会規範」では?
(Ellickson 2001)「個人の行動を統制するルールで、サンクションを通じて、国家以外の第三者により分散的に強制されるルール」
(R. Posner 1997)「裁判所や立法府のような公的な筋によって公示されたり、法的サンクションにより強制されたりするわけではないが、
一様に従われているルール」
(Sunstein 1996)「何がなされるべきか、何がなされるべきでないかを特定した、是認・否認についての社会的態度」
(c)業界団体に参加する契機(多くは「市場」圧力だろう)と、その内部でのサンクションメカニズムは分けて考えることができ、特に後者は「社会規範」と位置づけるのが妥当なのでは?

 
 いずれも至極もっともな議論で大変勉強になりました。以下僕の応答、氏名部分と改行以外は原文ママです。
 インライン回答だととても長くなってしまうなどの関係で2つに論点分けて回答しています。
 
1:それは「社会規範」か「市場」かについて
 1番目と2番目のコメントを併せての回答になりますが、先の三者の定義等も見ていて思うに、これは「社会規範」の定義というよりは「社会規範と市場」の区分が焦点になるのかと思いました。というのも仰る通り、社会規範も市場も法と経済学で言うところの「インセンティブ」に訴えかけていることが本質だという点では区別し難く、例えば村落共同体で青年団なりに参加しないことで八分られた場合にそれは明らかに経済的利得にもダメージを与えるだろうという意味において「仮に区別できたとしても密接な相互作用がある」問題です。(だから僕は本当は両者総称して「インセンティブ整合的」といってしまえば操作概念としては足りる場面が多いと思っています。)
 
 ただそれでもやはり区別する価値はあると思っていて、区別するとすれば例えば「明らかに誰もいない夜道で道端に煙草の吸い殻を捨てるかどうか」という判断などは好例だと思います。明らかに経済的利得を考えずに社会規範に従う場面というのは必ずある。そしてそうした行動を政策的に誘発したいと考えるのならば、それこそまさに社会規範ー多くは個人に内面化された価値観ーに特化した理解とそれに働きかける措置を工学的に議論することが必要です。
 
 ただしこれだとポズナーとサンスティーンの定義とは矛盾がない一方、エリクソンの定義「個人の行動を統制するルールで、サンクションを通じて、国家以外の第三者により分散的に強制されるルール」とは矛盾する気がしますね。これは恐らく、少しわかりにくい表現になってしまいすが、エリクソンが「極めて内面的に作用する社会規範」と「公開的であり経済的利得に繋がりやすい社会規範」の間に、「内的動機と外的動機が合混じる社会規範」という混合レイヤーを注意深く見ているからなのかな、と勝手に想像しました。
 
 この具体的な例としては、僕が女子大で教えている時に「宿題を忘れてきた女子学生に大声で叱責するかどうか」という判断が挙げられると思います。僕が大声で叱責しないのは、それはもちろんやりすぎれば学務に言い付けられて或いは学生に嫌われて何らかの機会を逸するかもしれないという外的動機もあるのかもしれませんが、それでもやはり主たる理由は「そのくらいで怒るべきじゃないよな」という内的動機なような気がします。
 
 整理すると「インセンティブ整合的」には下記の3レイヤーで表現されるグラデーションが存在しており、
 
「極めて内面的に作用する社会規範」
「内的動機と外的動機が合混じる社会規範」
「公開的であり経済的利得に繋がりやすい社会規範」
 
 下に行けば行くほど「市場」の混合比率は高まる。
 そして議論になるのはもちろん真ん中なわけだけれど、これはもはやその時々の局面における主観的判断が内面化された価値観ーつまり誰も見ていなくても僕はそれをしないだろうーと外的動機のいずれの要素をより多く伴っているか、という主観的な計測によるしかないだろうな、ということです。
 
 そして以上を「業界団体」という「私企業」がそれぞれの利害に応じて参加する共同体の規則という場面に当てはめてその混合比率を外形的に推定した場合、それはやっぱり下半分だろうな、という風に考えるというのが僕の第一の見解です。2番目に移ります。
 
 
2:「加入動機」と「団体内部での遵守動機」の区分について
 これは3番目の問いかけに対応しますね。これもとても重要で、僕もあまり整理し切れていないのですが、結論から言うとやはり両者は非常に強いカップリング関係にあるだろうなということです。
 
 端的ですが、それが「任意加入団体」であった場合、当然のことながら「脱退の自由」をも伴うもののはずです。そこで決められた規則がどのようなものであったとしても、それを遵守するコストとベネフィットを比較して、そのコスト超過分が、脱退して単独で振る舞うあるいは新団体を組織するコストと比べて高いのであれば企業は脱退するし、逆ならば脱退をしない。つまり任意加入団体においては、加入の局面が市場圧力によって駆動されるならば、その規則の遵守も同様に(脱退の自由に裏打ちされた)利得計算で行われると考えるのが妥当であろうということです。
 
 もちろんその規則がその企業の経済利得にほとんど関係ない場合、たとえば「加盟企業では社内エレベーターは左側で立ち止まるようにしましょう」という規則に従う等の場合は例外だろうと思います。そんなものがあるのかは分かりませんが。
 
 同時にカップリングと言いましたので別のカップリングもあると思っていて、たとえば僕が臓器ドナーの提供意思表明団体に加入するかどうかの局面は「社会的規範」かもしれず、その規則(できるだけこういう食材は摂らないようにする等)に従うとすればその理由も同時に社会規範なのだろうなという風に思います。ただやはり業界団体というレベルで考えた時にこの手の団体は例外的だろうというのが僕の見解です。