OstromとWilliamsonがノーベル経済学賞!!

 池田先生も早速書かれていた通り、今年のノーベル経済学賞スウェーデン銀行賞)はインディアナElinor OstromとバークレイのOliver E. Williamsonに決まりました。Williamsonのほうは順当という意見がほとんどだと思いますが、個人的にはOstromの受賞がとても嬉しいです。初めての女性ノーベル経済学賞になるんですね。
 

 
 Ostromは本職の経済学者ではないけれど、いわゆるコモンズの理論については確かに他に受賞にあたる人が思いつきません。強いて言えばベンクラーかもですけれど、経済学への距離&知名度でいうとやはり難しいか。チロル等もこの方面に本気出していれば取れたかもしれないけど、彼はやはり別の業績でもらうべきでしょう。以下、手元にあった比較的一般向けの最近のOstromの仕事。
 

  • とりあえずぜひこの機会に"Understanding Knowledge as a Commons"を読みましょう。彼は元々入会地などの実証研究で有名ですが、これは知識・情報をコモンズとして取り扱うことに関するとても有用な論文集です。イントロはPDFでダウンロードできますね。 http://mitpress.mit.edu/catalog/item/default.asp?ttype=2&tid=11012

 

 
 この受賞を見て、ノーベル経済学賞はそろそろノーベル社会科学賞やノーベル行動科学賞などに名前を変えてもいいのではないかと思いました。いわゆる社会科学として経済学の完成度が突出している一方、様々な行動科学との融合にしか経済学の次の道は見出せない中、果たして「経済学」という区切りに今後どの程度の意味が残り続けるのだろう。
 
 いずれにしてもこれを契機にどんどん邦訳されるといいなー。知る限りオシュトロームはまだ邦訳が一つも無いので。もっともっと日本でも幅広く読まれるべき人だと思います。
 
#あ、それから絶版になってるウィリアムソンの『市場と企業組織』も復刊してください。。。
http://www.amazon.co.jp/dp/4535572798/

RE: RE: 業界団体の自主規制は社会規範か?

 
 上記URLを出題者に送りましたら早速ご返答&追加ご質問を頂きました。少し面白い議論なのでデフォルメの上転載しようと思います(少しはブログ盛り上げねば笑&こういう議論はマニアックであればあるほど公開したほうが有意義だと思っており)。
 まず応答ご質問を要約すると下記の通りです。名前伏せる必要も特に無いかと思うんですが一応。
 

RE: 業界団体の自主規制は社会規範か?
(a)焦点になっているいわゆる「法と経済学」や社会規範研究は人がインセンティブ整合的に行動するということを焦点にしており、インセンティブ整合的だからといって直ちに「市場」であるということにはならないのでは?
(b)社会規範の定義については以下の3人(飯田高『<法と経済学>の社会規範論』p60-61より)が参考になるが、このいずれを見ても業界団体の自主規制は「社会規範」では?
(Ellickson 2001)「個人の行動を統制するルールで、サンクションを通じて、国家以外の第三者により分散的に強制されるルール」
(R. Posner 1997)「裁判所や立法府のような公的な筋によって公示されたり、法的サンクションにより強制されたりするわけではないが、
一様に従われているルール」
(Sunstein 1996)「何がなされるべきか、何がなされるべきでないかを特定した、是認・否認についての社会的態度」
(c)業界団体に参加する契機(多くは「市場」圧力だろう)と、その内部でのサンクションメカニズムは分けて考えることができ、特に後者は「社会規範」と位置づけるのが妥当なのでは?

 
 いずれも至極もっともな議論で大変勉強になりました。以下僕の応答、氏名部分と改行以外は原文ママです。
 インライン回答だととても長くなってしまうなどの関係で2つに論点分けて回答しています。
 
1:それは「社会規範」か「市場」かについて
 1番目と2番目のコメントを併せての回答になりますが、先の三者の定義等も見ていて思うに、これは「社会規範」の定義というよりは「社会規範と市場」の区分が焦点になるのかと思いました。というのも仰る通り、社会規範も市場も法と経済学で言うところの「インセンティブ」に訴えかけていることが本質だという点では区別し難く、例えば村落共同体で青年団なりに参加しないことで八分られた場合にそれは明らかに経済的利得にもダメージを与えるだろうという意味において「仮に区別できたとしても密接な相互作用がある」問題です。(だから僕は本当は両者総称して「インセンティブ整合的」といってしまえば操作概念としては足りる場面が多いと思っています。)
 
 ただそれでもやはり区別する価値はあると思っていて、区別するとすれば例えば「明らかに誰もいない夜道で道端に煙草の吸い殻を捨てるかどうか」という判断などは好例だと思います。明らかに経済的利得を考えずに社会規範に従う場面というのは必ずある。そしてそうした行動を政策的に誘発したいと考えるのならば、それこそまさに社会規範ー多くは個人に内面化された価値観ーに特化した理解とそれに働きかける措置を工学的に議論することが必要です。
 
 ただしこれだとポズナーとサンスティーンの定義とは矛盾がない一方、エリクソンの定義「個人の行動を統制するルールで、サンクションを通じて、国家以外の第三者により分散的に強制されるルール」とは矛盾する気がしますね。これは恐らく、少しわかりにくい表現になってしまいすが、エリクソンが「極めて内面的に作用する社会規範」と「公開的であり経済的利得に繋がりやすい社会規範」の間に、「内的動機と外的動機が合混じる社会規範」という混合レイヤーを注意深く見ているからなのかな、と勝手に想像しました。
 
 この具体的な例としては、僕が女子大で教えている時に「宿題を忘れてきた女子学生に大声で叱責するかどうか」という判断が挙げられると思います。僕が大声で叱責しないのは、それはもちろんやりすぎれば学務に言い付けられて或いは学生に嫌われて何らかの機会を逸するかもしれないという外的動機もあるのかもしれませんが、それでもやはり主たる理由は「そのくらいで怒るべきじゃないよな」という内的動機なような気がします。
 
 整理すると「インセンティブ整合的」には下記の3レイヤーで表現されるグラデーションが存在しており、
 
「極めて内面的に作用する社会規範」
「内的動機と外的動機が合混じる社会規範」
「公開的であり経済的利得に繋がりやすい社会規範」
 
 下に行けば行くほど「市場」の混合比率は高まる。
 そして議論になるのはもちろん真ん中なわけだけれど、これはもはやその時々の局面における主観的判断が内面化された価値観ーつまり誰も見ていなくても僕はそれをしないだろうーと外的動機のいずれの要素をより多く伴っているか、という主観的な計測によるしかないだろうな、ということです。
 
 そして以上を「業界団体」という「私企業」がそれぞれの利害に応じて参加する共同体の規則という場面に当てはめてその混合比率を外形的に推定した場合、それはやっぱり下半分だろうな、という風に考えるというのが僕の第一の見解です。2番目に移ります。
 
 
2:「加入動機」と「団体内部での遵守動機」の区分について
 これは3番目の問いかけに対応しますね。これもとても重要で、僕もあまり整理し切れていないのですが、結論から言うとやはり両者は非常に強いカップリング関係にあるだろうなということです。
 
 端的ですが、それが「任意加入団体」であった場合、当然のことながら「脱退の自由」をも伴うもののはずです。そこで決められた規則がどのようなものであったとしても、それを遵守するコストとベネフィットを比較して、そのコスト超過分が、脱退して単独で振る舞うあるいは新団体を組織するコストと比べて高いのであれば企業は脱退するし、逆ならば脱退をしない。つまり任意加入団体においては、加入の局面が市場圧力によって駆動されるならば、その規則の遵守も同様に(脱退の自由に裏打ちされた)利得計算で行われると考えるのが妥当であろうということです。
 
 もちろんその規則がその企業の経済利得にほとんど関係ない場合、たとえば「加盟企業では社内エレベーターは左側で立ち止まるようにしましょう」という規則に従う等の場合は例外だろうと思います。そんなものがあるのかは分かりませんが。
 
 同時にカップリングと言いましたので別のカップリングもあると思っていて、たとえば僕が臓器ドナーの提供意思表明団体に加入するかどうかの局面は「社会的規範」かもしれず、その規則(できるだけこういう食材は摂らないようにする等)に従うとすればその理由も同時に社会規範なのだろうなという風に思います。ただやはり業界団体というレベルで考えた時にこの手の団体は例外的だろうというのが僕の見解です。

業界団体の自主規制は社会規範か?

 
 大学院で「情報法政策勉強会」という私的勉強会をやっているんですが、そこで友人と少し議論になった問題に「業界団体による自主規制はエンフォースメントの側面から見て(レッシグ先生の四規制説でいうところの)社会規範と言えるか?」というものがあります。これ個人的な宿題になっていたようなので少し考えていました(内輪話+メモ代わりなので諸々ご容赦ください)。
 
 結論から言うと、業界団体の自主規制にも色々ありますが、やはり四規制説で言うならば「社会規範」よりも「市場」に近いものなんじゃないかということです。弁護士会のような制度的に定められた実質的強制加入団体であれば少し話は違ってきますが、おそらく大部分を占めるであろう東証の規則やJEITAの品質規制のような任意加入団体の場合、「その団体に加入し、それに付随する規則に従うことが経済合理性に適う」という要素が最も強いものであろうということです。
 
 そもそもこの手の話をしようとし出すと「市場」のような比較的定義しやすい(=インセンティブ整合的)と違って若干定義しにく「社会規範」をちゃんと定義しないとなという気にはなりますね。レッシグ先生自身は"The New Chicago School"の中ではあまり明確に社会規範(Norms)を定義していないようですが、"If they constrain, they constrain because of the enforcement of a community"(p662)即ち政府ではなくコミュニティによってエンフォースメントが担保されている、という位に理解しておけば間違いはなさそうです。
http://www.lessig.org/content/articles/works/LessigNewchicschool.pdf
 
 たとえば東証のようにそうした業界団体に加入しないことが資金調達の面で著しく不利益を生じるとき、新しく別の証券取引所を設立する経済的費用が禁止的に高いならばそれは明らかに「市場」による強制力ですね。問いかけに対する回答は端的には以上なのですが、一方でそもそもレッシグ自身も指摘しているように(上記p663~)四つの規制要素は単独で作用することは例外的であり実質的に問題になるのはその混合比率と相互作用なので、以下いくつか補足しておきます。
 
1:例えば管理事業法以前のJASRACのように、別の管理団体を作ることが制度的に実質禁止されている場合には「法」の混合比率が比較的高くなるものと思います。
 
2:例えば村落共同体における青年団のように、それに参加しないことが"社会的"非難の対象になる可能性が高い場合には「社会規範」の混合比率が比較的高くなるものと思います。
 
3:例えば経団連の企業行動憲章のように、その直接的対象が加盟企業である取り決めであっても「経営者」という一定の社会属性全体に対する一般的な社会規範の喚起を目的とする場合には、上記とはまた別のレイヤーで「社会規範」の混合比率が比較的高くなるものと思います。経団連としても憲章違反は特に重大な問題でない限りはあまり厳密な制裁をする仕組みにはなっていないようです(従来は「会員の自己責任に基づく申請」等)。詳細は神田秀樹「企業と社会規範」p5等を参照。
http://www.j.u-tokyo.ac.jp/coelaw/COESOFTLAW-2004-15.pdf
 
 3の「別のレイヤー」というところは論点としては少し興味深くて、憲章であっても加盟企業にはぜひ遵守して頂きたい規則として除名その他の「市場」的サンクションを背景に持つ自主規制として制定されている一方、より広い社会一般における「社会規範」として機能させようとする目的を持っているがために、加盟企業に対しても「社会規範」に近いエンフォースメント様式を採っているように見えるということです。この辺は業界団体の規則以外にもOECDAPECに代表される比較的弱いエンフォースメントで機能している国際組織の取り決め一般についても言えることなので、その多層性含め色々な側面から引き続きフォローしていきたいと思います。
 
 

情報通信政策論の三層構造 ー目的論、手段論、組織論ー

 
 メモがてらに簡単に整理しておきます。少しだけ怒っています。
 
 現在日本国内では原口総務大臣(そして内藤正光副大臣)の就任に伴って「周波数オークション」「NTT再統合」「日本版FCC」の3つの情報通信政策が盛り上がっていますが、この中でも特に「日本版FCC」という行政組織論は最も根本的かつ難しい問題です。確かに日本版FCCなり情報通信省なりそうした組織論は産官学挙げて将来の情報社会のグランドデザインを考えていく上で不可欠ですし議論を盛り上げて行くことには大いに賛成ですが、就任早々「来年法案を提出、2011年に設立」という形で最初にコミットするというのは順番から見てどうなのだろうと考えています。
 
 そもそも情報通信に限らず政策論には[1]目的論[2]手段論[3]組織論の三層構造がありますし、もし無いならあって然るべきです。現状ではおおよそ[1]は政治家が(時には与党のマニフェスト、時には基本法という形で)何となく決め、[2]は官僚が法律という形で決め、[3]はそのときの政治状況と妥協によって(時にはトラブルの責任論という形で)なんとなく決まるという形だったでしょうか。
 これまでことさら情報通信政策の世界では閉鎖的なインナーサークルの議論の中で政策論をしていれば大きな間違いは起こらない時期を数十年間過ごしてきたため、あまりその重層性と相互連関の存在自体が意識されることがなくなってきたように思います。しかし今は政権交代、あるいは情報通信産業の重要性の拡大、あるいは日本国の本格的な衰退の危機という理由からいつまでもそうしているわけにもいかなくなってきています。以下、123の定義と基本的な方向性を簡単に見てみることにしましょう。
 
[1]目的論:そもそも政策で何をなすべきかという議論です。そもそもこの国は「成長不均衡」と「縮小均衡」のどちらを目指して行くのかという基本的な問題意識から始まって、もっと粒度の低い数々の問題、そしてこの文脈では情報通信政策で何を達成したいのかという目的を決めて行かなければなりません。情報通信で言えば例えば「融合の促進」や「コンテンツやアプリケーションなど上位レイヤーの国際競争力強化」が挙げられるでしょうか。残念な事に現状では政策論争全体における情報通信政策の重要性は低く、選挙という場面に絞ってみれば民主党マニフェストには一言も触れられておらず、同じ政策集の中で触れられていた周波数オークションは「ごく限定的に」しかやらない方向が示される一方日本版FCCは「国民との約束だ」とされたり、一言も触れられていなかったNTT再統合について明確な方向性が示される事態です(いや約束のうちせめて一つでもやろうというのは良い事なんですが、ここで書く通りちょっと順序が違います)。選挙で国民の判断を仰ぐ事ができない以上、特定の利害関係を持った特定の政治家の意向で決めるというよりは、よりオープンな議論の中でそもそもの目的を決しようというのが自然な態度でしょう。
 
[2]手段論:どのような手段でその目的を達成すべきかという議論です。ここでの指針は言うまでもなく、上記の目的を達成するためにいかなる手段が最も優れているかということです。具体的には「コスト」「表現の自由や公平・公正といった基本的な憲法指針との整合性」そして「実現性・実効性」などになるでしょう。代表的な手段は言うまでもなく法律ですが、ここでの問題は従来の「命令と統制(コマンド・アンド・コントロール)」に基づいた政策手段が、特に情報通信の世界においては明らかにその有効性を失い始めているということです。およそ全ての行為が国境を越え、これまで単なる客体だった一人一人の国民が主体として色々な行為を行い、様々な前提が翌日は全く違った姿をしている情報社会の中で、果たして何をどこまで政府の決めたルールだけで対応できるものでしょうか。国家の重要性が今後も減じるものとは思いませんが、米国の自主規制や欧州の共同規制といった、経済成長と社会問題解決の両面において今まで以上に「市場の力」を活用した手段論を進めていく必要があります。どこぞの社会主義国のように情報社会を政府が統制可能なだけの小さな規模に押し止めようという明確な意思でもない限り、命令と統制に基づいた手段論の展開に限界があることは明白なはずです。
 
[3]組織論:そして上記の手段を実行する上で、どのような組織形態が最適なのかという議論です。目的と手段があって初めて組織論があるのであって、組織論ありきの組織論というものは明らかに順番を取り違えています(後述するようにここでは「議論の順序」を指しているのであって、必ずしも「優先順位」を指すものではありません)。少なくとも今現在の「2011年に作ります」という主張には「表現の自由」という蒙昧な題目の他に確固たる目的論も手段論も存在しているようには思えません(念のため述べておくと、一応僕は表現の自由を主題とする研究室で修士号を取っています)。ここはもう少しだけ詳しく論じる必要があるので、情報通信行政所管を切り出す際に主な論拠となる以下の5点に分けて説明しておきます。
(ちょっと便宜上、FCC=独立委説とOfcom=庁説をごっちゃにしている部分があります。この違いについては次の機会に詳論したいと思います)
 
(3-a)独立性:特性の政治圧力や業界団体からの圧力によって「表現の自由」や「公正な競争」が歪められることのないよう、政府から一定の独立性を図るという議論です(どうも後者の公正な競争が軽視される傾向があるんじゃないかと感じています。公取を強化すれば良いんではという話もありますが。FCC型=独立委かOfcom型=庁を取るかで多少議論は変わってきます)。「独立」が確かにその目的に一定程度資することは間違いありませんが、結局司法省によって断じられたFCCAT&Tの癒着やPeter HuberのFCC解体論などを参照する間でもなく、独立することでかえってロビイング耐性が弱まることは十分に考えられます。当然政治からの距離という文脈においても、政治が委員を任命するという手段でどれほどの独立性が保たれるのかという点も重要です。本来の目的を達成するためにも、単なる独立論に止まらない入念な組織設計が不可欠です。
 
(3-b)専門性:2、3年程度で配置換えのある一般的な省庁人事から離れ、複雑な情報通信政策に対応できるプロフェッショナリティを蓄積する必要があるという議論です。これはそれ以上に民間から専門的な人材を登用しやすくするという意味合いも含まれます。スタッフレベルにどういった人材を配置するのか、公務員比率をどの程度にするのか、人材の流動性はどの程度担保するのかといった人事面での細かい設計が不可欠です。もちろん調査研究能力の拡充も図られなければなりません。
  
(3-c)外部との協力:これは[2]手段論で述べた「市場の力」を最大限に活用するという議論に深く関係します。おそらく(独立委の場合)2、300名程度で構成されるスタッフで情報通信全体を管理できるという発想はあり得ません。従来の独立行政法人や所管の公益法人へのアウトソースという次元を超えて、民間企業や非営利組織といった様々な組織と協力して問題を解決していく態勢を整える必要があります(2003年の情報通信法改正で英Ofcomが設立された際も、共同規制手法の積極的活用が明示されています)。規制の策定と執行の両段階において、最大限に市場の力を活用する方法論の確立が求められます。
 
(3-d)規制と振興:特に独立委といったときに規制と振興を分離するために必要だという議論がありますが、これは僕にはいまいちよく理解できず、むしろ金先生の言う通り「規制の一元化」「振興の一元化」「両者の分離」が本筋なのではないかと考えています。現状情報通信の規制にせよ振興にせよ、IT戦略本部という大枠はあるにしろ実質は総務省経産省に分散しており、首尾一貫しない政策が行われる点は問題視されるべきです。中村先生の言う通り、「メディアIT文化振興を一元管轄する日本版DCMS」と「強力な審判機能を持つ委員会」という形で二元化することは有力な手段と考えられます(ただ、知財行政をどのように整理するかは別論が必要です)。
 
(3-e)透明性:言うまでもなく、民主主義のコントロールから一定の距離を置く以上、あらゆる場面における徹底的な透明性の確保が必要です。原則として政治家や政府機関、民間企業や団体とのやり取りは文書の形で行い、それをネット上で公開することを義務付けるなどの施策は不可欠でしょう(これは上記人事面の公務員比率等とも深く関係します)。
 
 以上簡単に書くつもりが少し長めになってしまいましたが、要は政策論においては「目的論」「手段論」「組織論」の順に論じていくことが大前提であり政権交代早々目的もはっきりしないまま2011年というのは明らかに順序を取り違えているのではないかということです。もちろん組織論は実行の基盤になるという意味で決して優先順位の低い問題ではありませんし、さらに言えば「組織論ありきの組織論」を原理的に否定するわけではなく、そういった手法が有効である場面というのももちろん時と場合によっては考えられるかもしれませんが、今現在の情報通信政策という状況においてはそれは明らかに非効率であろうというものです。
 一通り特に目新しいこともない原則論を書いたので一読されて何だ当たり前のことを偉そうにという向きもあるかもしれませんが、そうです、普通に議論をすればこのくらいの論点は出てくるはずです。ことさら我々レベルの若い研究者は政治や政策に関わる問題からは様々な理由で距離を置きがちですしそれは色々な理由でけっこう大事なことだったりしますが、デジタル技術とそれに対応する国家のあり方をどうしましょうという時に我々20代が黙っていてよかろうはずもありません。もっと議論しましょう。そして我々を置いてけぼりにして物事を決めないでくださいませ>政治家の人たち。
 
 
※追記090922:お、法案提出早速1年送らせる様子。すこし安心です。
日本版FCC「通信・放送委員会」11年に法案提出へ(朝日新聞、2009/9/22)
※追記090926:現状あまり騒がれていないように見える3-a問題(経済学では捕獲理論regulatory captureと言います)について池田先生が書かれていました。
官僚主導からマスコミ主導へ? - 池田信夫(アゴラ、090926)

社民党雇用担当相と「多様な労働形態」

 
 twitterだけで済ましているのもさすがにアレなので少しずつブログも生き返らせていこうかと思います。というわけでまずは政治ネタから。
 
(9/10)福島氏入閣、社民は雇用担当を要求 鳩山氏、閣僚人事を加速
http://www.nikkei.co.jp/senkyo/2009shuin/elecnews/20090910NTE2INK0210092009.html
 
 本当に福島氏の雇用担当相が通るのならある意味新政権最大の意思表明ですよね。政治的には妙案なのかもしれませんが国民最大の関心事を衆参合わせて12議席の政党に投げるというのはなんともはやという話ではあります。とは言え総理大臣が決めてしまえばまあそれはそれで一つの決定として受け止めるしかないので、敢えてポジティブな方向から雇用担当相に期待する向きを思考実験してみたいと思います。あくまで仮説・希望ベースながらとりあえず論点は2つです。
 
1:正規雇用者vs非正規雇用者の対立を止揚できるか?
 雇用問題への伝統的な視点というのは言うまでもなく「資本家=大企業」vs「労働者=労働組合」の対立軸を中心に考えられてきたわけですが、現代ではむしろ池田信夫氏らが主張されるように「(現状の労働組合の大半を占める)正規雇用者」vs「(アルバイトや派遣社員を中心とした)非正規雇用者」の対立軸のほうが重要になりつつあると言えます。例えば社民党が雇用政策を主導することになった時に彼らはこの問題をどう取り扱うのか。現時点では与党の支持基盤との関係もあり正規雇用者寄りの政策に傾くことが予想はされますが、無党派層の取り込みということも考慮するとあまりあからさまなことはできず、むしろ民主党よりもバランスの取れた方向に進んでいってくれる「可能性も」考えられます。いわゆる社会主義政党としての存在意義が薄れる中、社民党が党を挙げて「適切な」雇用政策を集中的に考える集団として生まれ変わっていけるならば、こういう采配も一つの方向性としてアリなのではないかと思います。
 
2:「多様な労働形態」を社会制度に埋め込むことができるか?
 上記とも関連しますがこちらはより重要です。僕自身の立場はかなり強固な「市場・イノベーション重視」なので直感的には企業の利益や経済成長を擬制にしてでも雇用を守れという議論とは相反するようにも思われるかもしれませんが、必ずしもそうではありません。私自身(そしておそらく多くの経済学者も)、経済成長と社会的安定の両面から見て、安定した雇用はあらゆる社会制度・政策の中で最も重要なものの一つだと信じています。
 イノベーションという視点から見た時、おそらく最大のキー概念は「雇用・労働形態の多様化」をいかに社会制度全体の中に埋め込むかという問題でしょう。ダニエル・ピンクの『フリーエージェント社会の到来』までは行かないにしても、非正規雇用労働や複属型労働、そして雇用流動性の確保は経済成長とイノベーションの拡大にとって不可欠な要素として認識され始めています。生産性の低い産業からいかに生産性の高い産業へと労働者を移行させていくのか、一つの会社や組織にとどまらず様々な技能を身につけいかに新結合を引き起こしていくのか。フルタイム・終身雇用の組み合わせが完全に無くなるとは思いませんが、望む望まずに関わらず少数派になっていくことは明白だと言えます。
 そして多様な労働形態を進めていく中では、そうした流動性と「個人と社会の安定性」どう両立させていくのかという難しい課題が付いて回ります。これはある意味相矛盾していると考える向きもあるかもしれませんが、私はそうは思っていません。セーフティネット雇用保険などの各種雇用制度、そして高等教育のあり方といった国家の「プラットフォーム機能」を再構築して両者を両立させ、「大きな政府」と「小さな政府」での極端な揺り戻しが繰り返されることのない継続的なイノベーション国家を実現していくことは可能なはずです。
 制度改革と同時に中長期的にはさまざまな意識面での改革が行われる必要がありますが、雇う側=企業の意識変革と同時に雇われる側=労働者の意識変革を進めていかなければなりません。そうした中で、労働者側との親和性を党是に掲げる社民党が前述のように労働政策を専門的に考え実行する中で労働者の意識に「多様な労働形態」を浸透させていってくれるならば、こうしたある種のトライアルも必ずしも無駄なものにはならないのではないでしょうか。

フリーエージェント社会の到来―「雇われない生き方」は何を変えるか

フリーエージェント社会の到来―「雇われない生き方」は何を変えるか

9/17緊急シンポジウム「日本版フェアユース導入の是非を問う」

 
※本シンポジウムは申込多数につき締め切りました。沢山のお申し込みありがとうございます。9月14日までにメールでお申し込みを頂きました皆様には、順次受付確認のメールをお送りさせて頂きます。
 
===
 
緊急シンポジウム
「日本版フェアユース導入の是非を問う」
 
<開催趣旨>
近年のデジタル化の進展に伴い、著作権制度のバージョンアップが進められています。特に、日本では著作権政策を決定する文化審議会において、著作権保護の例外を柔軟な形で定める、いわゆる「日本版フェアユース」の導入に向けての議論が進められています。今年度内には最終的な結論が出される可能性が高い中、国際的な調和と日本固有の文脈の双方を鑑み、著作権制限規定の在り方を具体的に決めていかなければならない段階にあります。
 
そこで慶應義塾大学SFC研究所プラットフォームデザインラボでは、Business Software Alliance (BSA)の協力を受け、日本を代表するエンターテイメント弁護士でグーグルブック和解案の日本での対応に中心的な役割を果たしてきた福井健策氏、MIAU代表理事でジャーナリストとして活躍する津田大介氏、国際的な知的財産法務に豊富な経験を持つ弁護士の水越尚子氏、そしてアメリカ映画協会国際部門においてアジア太平洋地域の責任者を務めるMichel C. Ellis氏をお招きし、フェアユース導入に向けての課題と解決策、そしてそれによって生まれるインターネットエコノミーの新たな可能性について論じるシンポジウムを開催することに致しました。
 
詳細は下記の通りです。ご関心のある皆様のご参加をお待ちしております。
 
■パネリスト
福井健策氏(骨董通り法律事務所弁護士・ニューヨーク州弁護士)
津田大介氏(MIAU代表理事、ジャーナリスト)
水越尚子氏(TMI総合法律事務所弁護士・カリフォルニア州弁護士)
Michel C. Ellis氏(Motion Picture Association[MPA]アジア太平洋地域プレジデント)
金正勲氏(モデレータ、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科准教授)
 
■開催要項
日時:9月17日(木)18:30-20:30
会場:慶應義塾大学三田キャンパス東館6F G-Sec
地図:http://biopreparedness.jp/index?Access
参加費:無料
申込方法:ご氏名・ご所属をご記入の上、jsfairuse@gmail.comまでメールにてお申し込みください。
 
主催:慶應義塾大学SFC研究所プラットフォームデザインラボ
後援:Business Software Alliance (BSA)
 

海外情報通信研究者・関連組織のtwitterアカウント一覧

 こちらも継続的にアップデートしていきます。
 情報通信に関連する法、経済、政策研究者が中心になります。
(研究機関・関連組織は独立させるかもです。)
 

研究機関

UChicago Law School http://twitter.com/UChicagoLaw
Harvard University http://twitter.com/Harvard
Harvard Law School http://twitter.com/Harvard_Law/
Harvard Law Review http://twitter.com/HarvLRev
Harvard Berkman Center for Internet & Society http://twitter.com/berkmancenter
Harvard Journal of Law and Technology http://twitter.com/JOLTDigest
Harvard Kennedy School http://twitter.com/Kennedy_School
Harvard Business Publishing http://twitter.com/HarvardBiz
MIT Sloan School of Management http://twitter.com/mitsloan
New York University School of Law http://twitter.com/nyulaw
Oxford Internet Institute http://twitter.com/oiioxford
Stanford Center for Internet and Society http://twitter.com/StanfordCIS

その他関連組織

Electronic Frontier Foundation http://twitter.com/EFF
Institute for the Future http://twitter.com/iftf
McKinsey Quarterly http://twitter.com/McKQuarterly
OpenNet Initiative Asia http://twitter.com/ONIAsia
publicknowledge http://twitter.com/publicknowledge

 
※ここまで作って「別アカウント作ってフォローしまくればよかったのでは?」などと気がつき悲しくなりましたがまあそういうこともあります。我ながら可哀想なので星など付けてやってください。。